日本を代表する演歌歌手、水前寺よさんの人生には歩行困難と離婚といった苦境がありました。1960年代から活躍する彼女は元気なイメージで知られ、本名は田子青。1945年10月9日に熊本市で生まれ、高校は専属学園高等学校を卒業しました。
12歳の時に家庭が困窮し、父親の励ましで歌手としての活動を続けました。19歳でデビューし、その後もヒット曲を連発。しかし、2014年には陰性中間索症という病気により歩行困難に見舞われ、整形外科で手術を受け、懸命なリハビリを経て現在も足の筋肉を鍛えています。
彼女のプライベートでは、1989年にサックス総社の小松明さんと結婚。しかし、結婚31年目に離婚が報じられ、夫からのパワハラが原因とされました。小松明さんは彼女のマネージャーであり、夫婦関係は次第に悪化。夫の過度なダメ出しや注意、罵声が離婚の引き金となりました。
紅白歌合戦では22回も連続出場し、1968年には初めて赤組司会をつとめました。エピソードでは、選宣誓の時の言い間違えや、1971年の鳥の公表を拒否したとの噂、1983年には父の死の直前に感動的な歌唱を披露したエピソードがあります。
水前寺よさんはこれらの困難にも立ち向かい、感謝の気持ちを忘れずに活動を続けています。